
Revolution of the Heart
ハートの革命
with Krishna Sarasvati
頭からハートへ、そしてハートから腹へと降りる
生命そのものの旅をたどる・・・
Krishna Sarasvati
スワミ・クリシュナ・サラスワティ
名前の意味:遊びに満ちた叡智
19歳でインドの神秘家OSHOと出会い瞑想の道に入る。OSHOの本「奇跡の探求」のスワミ・ヨガ・チンマヤによる序文の深みと明晰さに衝撃を受けて以来、現在までチンマヤの弟子として瞑想を続けている。
現在ではインド国内で2か所の瞑想コミューン(瞑想者が日々の暮らしを営みながら暮らしを共にする共同体)を運営しており、そのコミューンを支えるためにインドで11の高級ヴィラの経営を指揮する実業家でもある。
クリス(クリシュナの愛称)は、深く大地に根付いた静けさと、内に秘められた情熱が醸し出す存在感でその場にいる人たちを優しく包み込む。彼の長い瞑想の道への献身的人生は、手軽さとスタイリッシュさを好む私たち現代人に、真の献身とは何か、また、それが創り出す未知の次元を、現実のものとして現前させてくれる。


ハートの革命Revolutionof the Heart 2025
2日間通し ¥42,000(税込)
(早割4/15まで¥37,800)
1日のみ ¥25,000(税込)
ハートの革命
Revolution of the Heart with Krishna Sarasvati
「考えすぎる」現代社会では、情報の洪水に息も絶え絶えになって疲労が重な理、常に頭を使い続けることで、人は自分の本質から遠ざかっています。その状態から「ハートへ戻っていくこと、感性や直感が湧き起こる場所へと戻っていくことができるでしょうか?
この瞑想グループでは、
「頭からハートへ、そしてハートから腹へと降りる」
生命そのものの旅をたどっていきます。
考えすぎるマインドを鎮め、ハートで感じることを取り戻すのです。
ハートで生きることは、人生に本質的な豊かさをもたらし、最終的には、腹(直感)で決断できるようになること、それこそが「ハートの革命」です。
体験することの重要性
瞑想も食事も、すべては「体験」が重要です。
ピザを薪のオーブンで焼くと、電子レンジとは全く違う味わいになります。
お米や野菜を炊飯器で炊き上がるのを待つ間、ダンスや瞑想をすると、食事の時間そのものが深い体験になります。
ティーバッグで淹れたお茶と、禅マスターが淹れるお茶では、全く違う味合いになることは想像に難くありません。
すぐに結果を求めるのではなく、プロセスそのものを味わうこと。それが瞑想的に生きることにつながっていきます。
水に飢えている人は、水を見つける
探求の旅にある人は、必ず必要なものに出会うようになっています。だから焦ることなく、自分の流れに身を任せ、「正しい人は正しい時に正しいものを見つける」ことを信頼すること。
人生は目的地を求めるものではなく、旅そのものがゴールなのです。
OSHO
神に関していえば、それは全ての感覚を超越し、全ての感覚を超えたものであり、その体験は遥か彼方のものだ。それは究極的な体験だ。それを超えるものはない。覚醒する可能性は、あらゆる人の内側に生まれながらにありながらも、実際には覚醒を遂げる人がほとんどいないのはそのためだ。
しかし、私たちの中の一人が覚醒した時には、常にその覚醒は多くの人々の神に対する潜在的な渇きをかき立てる要因の一つとなる。クリシュナのような人が出現したら、その人に見られるだけで、その人がいるだけで、私たちの中で久しく眠っていたものが目覚め始める。
神への渇き、渇望は私たち一人一人の中にある。しかもそれは生まれながらにしてあるものだ。ところがそれは抑圧され、目覚めることを許されない。それにはさまざまな理由があるが、その中で最も重要なのは、私たちを取り巻く巨大な群衆、共に生きる莫大な数の群衆に、その渇きが全くないということだ。
そのため、ある人にその渇きが生じ始めても、その人はすぐにそれを抑圧してしまう。なぜなら、そのようなことは気狂い沙汰のように思えるからだ。
OSHO「奇跡の探究」より抜粋


Swami.Yoga.Chinmaya
真実の探究は、人生と存在の謎の探究です。
生命があり、世界があり、存在があり、感覚があり、知性があります。しかし、これら全てにも関わらず、人生の真実は未知であり、馴染みのないものです。そしてこの無知、人生に対する不慣れさは苦痛です。
そして、人間が人生の流れの中で到達した発展の段階もまた不十分で不完全なものなのです。広大な可能性に比べれば、人間は単なる種子に過ぎず、そこに眠っているものがたくさん隠されています。人間の中には長い一連の目覚めが待っています。人間の意識は、多くの段階と次元を経て発展しなければなりません。人間の意識が最大限に発揮されるためには、突破しなければならない多くの層、多くの障壁があります。そうしてはじめて真実が達成され、苦しみを超越することができるのです。
(中略)何千年もの間、多くの勇敢な人々が真実、存在、人生の神秘、その計り知れない深淵を求めて偉大な内なる旅に出た長い伝統ががありました。
宗教は知られ、認識され、発見された人間の実存的未発達と内なる旅のプロセスから創造されました。
科学が物質、世界、物理的な生命の謎を発見したのと同様に、実存的な内なる魂と意識の世界が発見され、その神秘的な科学が宗教によって発展してきました。
OSHO「奇跡の探究」
スワミ・ヨガ・チンマヤによるヒンディー語序文より抜粋
Sat Sang
5月12日(月)〜14日(水)
プライベートセッションとしてのサットサン
サットサンとは、サンスクリット語の 「Sat(真理・純粋な存在)」+「Sangha(集まり・交わり)」 から成る言葉で、「真理と共にあること」「真理を探求する集まり」 という意味です。
師との直接の対話の中で、質問と答えを通じて知恵を深める機会です。
グループでの気づきと成長
同じ志を持つ人々とエネルギーを共有し、精神的な成長を促す対話やシェアリングの場です。
友人同士や仕事の同僚と参加するもよし、知らない人同士のシェアリングで物事に新たな視点を持つこともまた、新たな成長につながります。OSHOの教えにおいてもサットサンは重要な要素の一つですが、伝統的なサットサンとは異なり、生きた体験」としての真理 を重視します。
2日間のワークショップでの気づきをさらに深めたり、個人的な迷いや悩みについて話すのもよし、また、ワークショップの日程に参加できない人への重要な機会になります。

プライベート or
グループ サットサン
(5/12〜14)お申し込み
プライベート サットサン(60分)
10:00/11:30/14:30/17:00
¥18,000(税込)
通訳費込みの場合 ¥25,000(税込)
グループ サットサン(90分)
18:30~20:00
¥15,000(税込)通訳費込み
※プライベートサットサンで通訳が必要な方は同時にお申し込みください。
※グループサットサンは、通訳費込みとなっております。
※グループの人数が2名に満たない場合は、日程の変更をご相談させていただくことがあります。
会場:新宿区神楽坂

Meet the Team
The Lineage of Meditation
OSHO
インドの神秘家
Swami Yoga Chinmaya
スワミ・ヨガ・チ ンマヤ
OSHO Sannyasin
OSHOのサニヤシンとは?
インドの神秘家、思想家・スピリチュアルリーダーであり、瞑想や意識の探求において革新的なアプローチを提唱した。OSHOは既存の宗教や社会の価値観に対して挑戦的な姿勢を持ち、禅、タントラ、仏教、ヒンドゥー教、スーフィズム、道教など、東洋の霊的伝統 を統合。また、フロイト、ユング、ニーチェ、カール・マルクスなどの西洋哲学・心理学・社会思想も取り入れ、「自由」「愛」「瞑想」「個人の覚醒」を強調した。OSHOが遺した「ダイナミック瞑想」は、現在でも世界中の探求者にとって革新的な瞑想方法として愛され、肉体を離れた後もOSHOに従う人たちが増えている。
OSHOの最も初期の、そして最も愛すべき弟子の一人で、最初のグループの一人でもある。
1965年初めてOSHOと出会う
1970年〜74年ボンベイの「ウッドランズ・アパートメント」でOSHOと暮らし、OSHOのエソテリック担当秘書を務める。
1974年、ラジニーシ・アシュラムを創設
1981年にオショーがアメリカに渡るまでそこに住んでいた。その後、オショーから新しい生活を始めるよう頼まれ、1982年〜1989年 場所を求めて放浪し、弟子数名とともにネパールのポカラに定住。
1989年、チンマヤとそのグループはプネーに来て、OSHOが1990年1月19日に亡くなってからも、1990年11月まで住み続けた。その後、ヒマラヤに新しい場所を求めて去り、最終的に、弟子たちとともにウッタラーカンド州バゲシュワールに定住すると、世界中から多くの探求者やOSHOの弟子たちが彼に会いに来てインスピレーションを得た。
チンマヤのビジョンの中心は、内と外をつなぐこと、つまりビジネスと瞑想と意識をつなぐこと。
その後、健康状態の悪化により3 年間ゴアに留まった後、マハラシュトラ州シロダに居を移した。2019 年 8 月 15 日の満月の日に、自宅「チャイタニヤ ニワス」(意識の住処)でボディを離れた。
ポカラとバゲシュワール以来彼と一緒に暮らしてきた友人たちは皆、シロダの「チャイタニヤ ニワス」と彼の自宅バゲシュワールで、今も一緒に働き、暮らし、瞑想を続けて、ゴアを訪れる観光客に高級住宅を提供するホスピタリティ事業を運営している。
伝統的なサニヤシン(はサンスクリット語で「放棄」や「離脱」を意味する)は「世俗を捨て、禁欲と瞑想を通じて解脱(モクシャ)を目指す修行者を指す。
一方でOSHOのサニヤシンとは、OSHOの瞑想法を主軸にして、人生を楽しみつつ、意識の目覚めを追求する自由な探求者だと言える。伝統的な禁欲的なサニヤシンとは異なり、瞑想と生を祝福することを統合する。盲目的に従うのではなく、自分自身の真実を探求することが本質であり、どこにいても生き方そのものが瞑想となる ように生きるというコミットメントである。