チネイザンの認定コースのシェアリング
一般参加者としてチネイザン合宿に受講させていただきました。
チネイザンはヒーリングの一種ですが、施術するものとされるものの垣根を越えて一体となる双修法で
単修法である「六字訣」「内笑瞑想」と対をなす重要な功法であることがよくわかりました。
Konami 15 Feb 2020
チネイザン合宿には一般参加で参加させていただきました。なのでこれは、プラクティショナーではなく、一般参加者目線での感想になります。
合宿最終日の前日夕方、「チネイザンとは何だろうか」というミーティングの時間が設けられました。これは「一自営業者として自らの施術をどのように宣伝するか」というマーケティング的な意味合いの強い議題で、「今話題の『腸もみ』に擬えて」とか「おなかはすべての不調に繋がっていて」など、様々な意見が交わされました。
しかし、私はいわゆるプラクティショナーではない一般人として、それらとは違った意見を持っていて、チネイザンは体の不調を癒やしたり健康を増進したりと言った実質的な効能だけではなく、不調の部位によって怒りや悲しみや嫉妬と言った感情面でのトラウマや歪みが露わになったり、それが自らの過去や人生と向き合うきっかけとなったり、言うなれば「人生を語ることができるマッサージ」であることが、他の施術とは一線を画す一番の特徴だと思っています。
トラウマが露わになったり、過去を向き合ったりしたからと言って、チネイザンのセッションでトラウマから解放されたり傷が癒えたりする、というわけではないかもしれません。でもそれはそれで良いと思うのです。
とある著名な占い師が、自身の著作の広告にこのような一文を添えていたことを覚えています。
「占いは、未来を予知するものでも、未来の危機を回避できるものでもありません。ただ、占いが共通の話題になって誰かと親密になれたり、あるいは自らが前に進んでいこうと思える原動力になれるのであれば、それで十分だと思うのです」
チネイザンも占いとまったく同じで、自らと向き合う機会が、その人が前を向いて進んでいこうと思えるきっかけになるのだとしたら、それで十分だと思うのです。
そういう意味合いで、チネイザンは、ただ身体にアプローチするだけのマッサージではないと思うし、雑なまとめ方になりますが、チネイザンはとても“いいな”と思います。
Maki 16 Feb 2020
2020年1月のプラクティショナー合宿に参加しました。 マスターチアやユタのチネイザンの研修では学ぶことだらけで5日間のスケジュールがぎっしりですが 今回の清里の合宿では、お腹を揉み合っての手技のおさらいやアップデート、セッションをする中での疑問点を解消する質問やシェアの時間のほかに、朝はモーニングエクササイズ、夜は六字結、それにプラスして踊る(ダイナミック瞑想)、マニさんご指導のトークセンは骨に穏やかに響いてオステオカルシンが出まくりました(当人比)。 そして合間合間に自分の内面を深くのぞき込んでは感じてみる、それを言語化してグループ内でシェアをする、と言った時間もあり、セラピストが自分のために時間を取り、滋養を与える時間として最高だったと思います。 宿のおいしい食事をみんなで囲み、夜は夜空の見える中での温泉に浸かってリラックス~、オフシーズンで人気がなくシーンと静まり返った森の中の宿で眠る。タオガーデンも自然の恵みいっぱいだけれど、冬の山梨の自然も豊かでした。 セラピストになって日々クライアントさんと向き合っている中で、ついつい自分のケアは後回しになってしまうこともありますし、自分の内的な成長がないままにセッションを続けていれば、壁にぶち当たることもあるでしょう。そんな時に腹を割って話が出来るセラピスト仲間とのつながりはとても大切だと感じました。(もちろん自分最優先で、なんの壁にもぶち当たらない状況もありです。) 個人的にはいろんな人のセルフケアの話を聞けたのもすごく良かった。「便秘の時は左手で脳天をたたく」とか「女子力アップには浴槽の中でおまたをオイルマッサージ、おまたが無理なら内腿にオイルを塗って入浴→めっちゃ温まる」 などなど。 滋養と、良い学びと、交流を得るとてもよい時間になりました。 資格の取得だけでなく、こうしたつながり(器、サポート体制)があることで、安心して失敗もできるし、失敗を糧にさらに進んでゆけるな、と思います。 Y.O 02 Mar 2020